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6年前の3月11日

~~私のランドマーク「修善寺橋」~~

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私は いつものように仕事をしていて、
鉄骨4階建ての家の1階の店舗にいた。
石の床が沈み込むような感じがあって「地震だね~」とは思ったものの、
震災を知ったのは、夕方以降だった。
テレビでは 東京の帰宅難民の様子をしきりに映していて、
本当の姿を知るまでには、時間がかかった。

私ができたことは・・・
「寄附」ということぐらい。
実に 恥ずかしい限りだ。
「経験」してみなければわからない。
その立場にならなければわからない。
わかったようなことを言っても、本当の理解はできない。
自分の作り上げたものが流されて、大切な家族を失って、
生きていけるの?
って 突きつけられたら 返事に困る。

その年、あるアーティストのライブは延期になり、
再開された時には、ライブ前に1分間の黙とう。
「東北震災シート」が設けられ、
ありえないような座席が売りに出され、それは「寄附金」となったらしい。

人は、衣食住が足りてくると、
「花」「絵」「音楽」など 心を豊かにするものを欲するそうだ。
東北を励ますために、多くのアーティストも支援に参加した。

そんな風に、日本が一丸となって支援をしたあの年・・・
あれから、もう6年なのか、まだ6年なのか~
私は正直に言う。
私は「経験」してないから、想像だから、
あの3月11日の出来事を忘れる時がある。
その後に起きた災害で命を落とした人々のことも忘れてしまっている。

皆さんは いかがですか?
人って・・・
時に薄情ではないですか?
本当に自分勝手ではないですか?

あの日、たくさんの命を飲み込んだ海は、
津波によって、洗われ とても綺麗な青色になり、
何事もなかったように陽は沈んで、翌朝も昨日のことなど忘れたように
朝日が綺麗だったそうです。

人の心と同じように、自然も薄情ですね。

私たちは、宇宙のサイクルから言えば、
とっても、ちっぽけな存在です。

ちっぽけだからこそ・・・
力の限り、生きるのですね。

今後、フリーフォールのように、
人口減少の日本。
これだけの 大震災が起きて、
このことを教訓にしていくことができなかったら、
日本の行く末は・・・ですね。

震災や災害 終戦記念日などの特集番組はしっかり見ましょう!
受け身ばかりのおバカなテレビばかりでは、ダメですよ。
「経験」していない人間は「経験者」から話を良く聞いて、
学習するのです。
「自分がもしその立場になったら、どうするのか?」と
自問自答するのです。
細やかな寄附しかできず、ボランティアをすることもできず、
毎日が精いっぱいの私は、
自分の人生を目一杯生きることしかできません。
かなり真面目な「特集番組」は出来得る限り見ます。

今日は 叔父の四十九日 法要に行きます。

亡くなった人は、いったいどこへいくのでしょうか?



《プロフィール》
1959年 熱海市生まれ。静岡県立三島北高校卒業。
女子大に入学するが「夢ややりたいことが見だせず」中退。
1986年自覚症状がないまま、突然の下半身の激痛と出血。
地方都市の個人病院で「卵巣嚢腫」と診断。
その後 東京癌センター病院にて再検査。
卵巣に異常はなかったものの、壊死していた「子宮」を全摘出することに。
最悪の場合「余命は半年」と宣告されての手術。
術後の細胞検査に癌は見つからず、「生きる」ことを許されたが、
「子どもを産めないんじゃ 生きていてもしょうがない。女としての意味なんてない。結婚だってできない。恋愛だってできない。」
としばらく自暴自棄の状態に。
しかし、主治医のポジティブな考え方、両親の支えもあり、「与えられた命を生きていく!」と心機一転。
新しい出会いもあり、1989年 結婚。
フラワースタジオで学び講師になり、熱海で教室・花屋を開業するも、1998年 離婚。
2002年 生花店2代目と再婚




by hanaya-akkie1187 | 2017-03-11 00:12 | 告白