ハイヒール リンゴさんの告白&エール
~~混色植え コリウス(葉色を楽しむ)~~
著名な方が 不妊治療の果てに
子どもが出来なかった経験を
ネットで公表すれば、
それは効力のあるものだと思う。
しかし、人の考えや思考は皆同じではないし、
励ましをどのように受け取るか・・・
それも人それぞれ違うだろう。
今、このリンゴさんの発言には、共感できる。
でも、年齢や、妊活経験歴・不妊治療経験歴によっても
おそらく素直に受け入れることができないはずだ。
勿論、このリンゴさんの発言は自分の考えを強要しているわけではないから、
「こういう人もいる。こういう考え方もある。」という受け方でよいのだ。
不妊治療できる人~
羨ましい!って思う。
何故って、子宮なかったら不妊治療できないじゃん。
せめてスタートラインに立たせてよ。
私みたいに27歳まで子宮あった人を 羨ましいと思う人もいるよね。
生まれつき 子宮がない人だっているんだからね。
何だかんだ言ったって、単純子宮筋腫だったんでしょ、癌の苦しみなんか知らないくせに!
って、そう思う人もいるでしょうね。
人って、どこに不幸があるか幸せがあるかなんて、
誰にも分からないんだよね。
順風満帆子育ても上手くいったはずなのに、エリートだったはずなのに、
引きこもる!?働かない。
人生かなりの年齢になってから、40代の働かない息子の世話をする羽目になる。
どんな人生になるかなんて 全く分からない。
その時々で、ベストチョイス・ベターチョイスができるかどうか・・・
それだけの「力」が自分にあるかどうか・・・
その「力」を蓄える努力ができるかどうか・・・
これが、おそらくは~
人生で度々起こるピンチの対処の仕方に繋がるはずだ。
でも、そのことに気が付くのは、かなりの年齢になってからです。
そして、ご苦労の少なかった方は、あんまり気が付かないかもしれません。
あとね~一つ言えること、
人と比べると 不幸になりますよ。
不妊治療だって、財力次第なところもありますからね。
自分はオンリーワン
自分の人生の「主人公」と思っていないとね・・・
全てが不幸に思えて、笑顔もなくなり、友も作れなくなり、
色々なことが悪循環になってきます。
笑顔を失うと~
おそらく「チャンス」は巡ってきません。
リンゴさんの笑顔は素晴らしい!
だから、長い不妊治療の辛さも乗り越えられる!のだと思います。
《プロフィール》
1959年 熱海市生まれ。静岡県立三島北高校卒業。
女子大に入学するが「夢ややりたいことが見だせず」中退。
1986年自覚症状がないまま、突然の下半身の激痛と出血。
地方都市の個人病院で「卵巣嚢腫」と診断。
その後 東京癌センター病院にて再検査。
卵巣に異常はなかったものの、壊死していた「子宮」を全摘出することに。
最悪の場合「余命は半年」と宣告されての手術。
術後の細胞検査に癌は見つからず、「生きる」ことを許されたが、
「子どもを産めないんじゃ 生きていてもしょうがない。女としての意味なんてない。結婚だってできない。恋愛だってできない。」
としばらく自暴自棄の状態に。
しかし、主治医のポジティブな考え方、両親の支えもあり、「与えられた命を生きていく!」と心機一転。
新しい出会いもあり、1989年 結婚。
フラワースタジオで学び講師になり、熱海で教室・花屋を開業するも、1998年 離婚。
2002年 生花店2代目と再婚
子どもが出来なかった経験を
ネットで公表すれば、
それは効力のあるものだと思う。
しかし、人の考えや思考は皆同じではないし、
励ましをどのように受け取るか・・・
それも人それぞれ違うだろう。
今、このリンゴさんの発言には、共感できる。
でも、年齢や、妊活経験歴・不妊治療経験歴によっても
おそらく素直に受け入れることができないはずだ。
勿論、このリンゴさんの発言は自分の考えを強要しているわけではないから、
「こういう人もいる。こういう考え方もある。」という受け方でよいのだ。
不妊治療できる人~
羨ましい!って思う。
何故って、子宮なかったら不妊治療できないじゃん。
せめてスタートラインに立たせてよ。
私みたいに27歳まで子宮あった人を 羨ましいと思う人もいるよね。
生まれつき 子宮がない人だっているんだからね。
何だかんだ言ったって、単純子宮筋腫だったんでしょ、癌の苦しみなんか知らないくせに!
って、そう思う人もいるでしょうね。
人って、どこに不幸があるか幸せがあるかなんて、
誰にも分からないんだよね。
順風満帆子育ても上手くいったはずなのに、エリートだったはずなのに、
引きこもる!?働かない。
人生かなりの年齢になってから、40代の働かない息子の世話をする羽目になる。
どんな人生になるかなんて 全く分からない。
その時々で、ベストチョイス・ベターチョイスができるかどうか・・・
それだけの「力」が自分にあるかどうか・・・
その「力」を蓄える努力ができるかどうか・・・
これが、おそらくは~
人生で度々起こるピンチの対処の仕方に繋がるはずだ。
でも、そのことに気が付くのは、かなりの年齢になってからです。
そして、ご苦労の少なかった方は、あんまり気が付かないかもしれません。
あとね~一つ言えること、
人と比べると 不幸になりますよ。
不妊治療だって、財力次第なところもありますからね。
自分はオンリーワン
自分の人生の「主人公」と思っていないとね・・・
全てが不幸に思えて、笑顔もなくなり、友も作れなくなり、
色々なことが悪循環になってきます。
笑顔を失うと~
おそらく「チャンス」は巡ってきません。
リンゴさんの笑顔は素晴らしい!
だから、長い不妊治療の辛さも乗り越えられる!のだと思います。
《プロフィール》
1959年 熱海市生まれ。静岡県立三島北高校卒業。
女子大に入学するが「夢ややりたいことが見だせず」中退。
1986年自覚症状がないまま、突然の下半身の激痛と出血。
地方都市の個人病院で「卵巣嚢腫」と診断。
その後 東京癌センター病院にて再検査。
卵巣に異常はなかったものの、壊死していた「子宮」を全摘出することに。
最悪の場合「余命は半年」と宣告されての手術。
術後の細胞検査に癌は見つからず、「生きる」ことを許されたが、
「子どもを産めないんじゃ 生きていてもしょうがない。女としての意味なんてない。結婚だってできない。恋愛だってできない。」
としばらく自暴自棄の状態に。
しかし、主治医のポジティブな考え方、両親の支えもあり、「与えられた命を生きていく!」と心機一転。
新しい出会いもあり、1989年 結婚。
フラワースタジオで学び講師になり、熱海で教室・花屋を開業するも、1998年 離婚。
2002年 生花店2代目と再婚
by hanaya-akkie1187 | 2017-05-22 22:55 | 告白