法を犯すようなことは勿論 悪 だが
正解 不正解の判断が出来ないことが
多々ある。
最初にその手に自分の子を抱くとき
それは 正しく無償の愛 といってよいと思う。
私は 残念なことにその体験を
していないのだが
そう推察する。
それは 太古の昔から
変わらない真実のような気がする。
今 それが変わりつつあるのか~?
毎日の虐待報道や
「妊娠が分った時点で 産まれたら殺すことを決めていた」という
母親までいる。
中絶するお金もない、育てていくお金もない。
おそらくは父親も限定できないのかもしれない。
「命」が大切なのは 教えられなくても
人であれば家庭の中で、
自然と学んでいるはずのことが
実は、そういう暖かい家庭に
育っていないために
過ちを何度も何代にわたって
犯し続ける場合が多い。
虐待をする親は、虐待された経験のある
確率が高い というのも 事実だ。
人は 無償の愛に包まれてこの世に生まれ、
暖かい家庭・出来得るならば両親の元で
育つことによって
知らないうちに、当たり前のように
「命」の大切さを学んでくるのだ。
虐待死した子どもの名前・・・
つい最近は「心愛」 (みあ)ちゃんだった。
親はどういう気持ちで
この名前を付けたのか 聞いてみたい。
凶悪犯や虐待する親に聞いてみたい。
「あなたはどういうふうに育てられたのか?」
「あなたを愛してくれた人はいないのか?」
「あなたは人に殴られてもいたくないのか?」
「冬に冷たいシャワーを浴びたいのか?」
「ご飯を食べなくて平気なのか?」
鬼畜のような親に聞いてみたい。
どういう答えをするのか聞いてみたい。
誰かを守りたいと思わないのか?
自分のことだけでいいのか?
そして「心愛」ちゃんがこの世に誕生した時
幸せではなかったのですか? と~
戦争前後の荒れたすざましい時代に
「命」が軽かった時代に
死にゆく人が最期に考えたのは
最愛の人のことだと思う。
平和ボケをしている現代は、
大事なことがすっかり忘れ去られた時代になった。
時代のせいにしてはいけない。
社会のせいにしてはいけない。
あなたの大切な人は誰ですか~?
守りたいものは何ですか~?
失いたくないものは何ですか~?
時々 自分にも問うようにしている。
答えは沢山で良い。
充実の人生を送るために・・・
大切な人がいっぱいいて
その人達が幸せであることが自分の喜び~
そう思える自分が幸せだと思う。
例え「無償の愛」の瞬間は体験していなくても!
《プロフィール》
1959年 熱海市生まれ。静岡県立三島北高校卒業。
女子大に入学するが「夢ややりたいことが見だせず」中退。
1986年自覚症状がないまま、突然の下半身の激痛と出血。
地方都市の個人病院で「卵巣嚢腫」と診断。
その後 東京癌センター病院にて再検査。
卵巣に異常はなかったものの、壊死していた「子宮」を全摘出することに。
最悪の場合「余命は半年」と宣告されての手術。
術後の細胞検査に癌は見つからず、「生きる」ことを許されたが、
「子どもを産めないんじゃ 生きていてもしょうがない。女としての意味なんてない。結婚だってできない。恋愛だってできない。」
としばらく自暴自棄の状態に。
しかし、主治医のポジティブな考え方、両親の支えもあり、「与えられた命を生きていく!」と心機一転。
新しい出会いもあり、1989年 結婚。
フラワースタジオで学び講師になり、熱海で教室・花屋を開業するも、1998年 離婚。
2002年 生花店2代目と再婚。
# by hanaya-akkie1187 | 2019-02-11 17:22 | 告白