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子宮筋腫手術~もう子宮なんていらないって思えるのは何歳からですか?

~~トルコギキョウの エレガントブーケ~~


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「子宮がいらない」そんなふうに考えることができるのでしょうか?

女性に聞きたい~
自分に「子宮」があることを感じたのはいつですか?

(生まれながらに子宮を持たないロキタンスキー症の女性は、
お答えにくいことです。)


大概の女性は、「初経」を迎えた時と答えると思います。

保健体育の授業で聞いたことは「これか~」って、
私は、単純にそう思いました。

妊娠していなければ、子宮内の内壁が剥がれ、
体内へ出血するという形で現れる。

これが、妊娠をしてない限り、永遠と更年期を迎える頃まで続く。

妊娠をすれば その期間はこの鬱陶しい出血から解放される。

女性の複雑な身体のメカニズム、そして女性であれば必ず、
妊娠出産は経験するのだ~と当たり前のように思っていた。


当たり前のことに見放される自分が未来にいるとは知らずに。


「子宮筋腫」は多くの女性が大なり小なり持っていて
特に重要視される病気ではない なんて認識すらあります。
筋腫によって生理の出血が多かったり、
或いは、どの位の期間 様子を見乍ら大きくなるようだったら
手術をするとか~
癌検査をし続けて、0期のうちに手術に踏み切るとか~


この判断は、既に子どもを産み上げて、
もうこれ以上出産は望みません という人には
「手術って怖いね」とか「嫌だね」とか
その程度で終わるのかもしれない。


でも もし10代、20代、結婚をまだしていない30代が
「子宮筋腫」になったとしたら・・・。

これは全く考えが変わってくる。

「筋腫」の手術をしても子宮を温存できるので、
妊娠出産は可能な場合、
子宮を全摘しなければならない場合と明暗が分かれる。


子宮筋腫という病名がつくことは、
子どもを産めるのか、産めないのか~

そして それは女性の人生を変えることになる。


少し前、知り合いが子宮筋腫の手術をした。
まだ40代前半、バツイチで子どもはいない。
私は聞いた 「ねえ、もう 子どもはいいの?」
彼女は答えた。「結婚も子どもも もういいの」
もう 諦めた~ということだ。

「旬」という言葉があるように
女性の人生にも「旬」がある。
夢も追いたい、仕事も持ちたい、でも結婚して子どもも欲しい。
もしそう望むなら、10代のうちから、計画性を持つと良いと思う。

女性として、第一子は20代前半に欲しい 。
いや、20代後半に結婚して、30代前半で、4年間で2人位出産したいとか
逆算して、自分の「旬」を大事にするということだ。

妊娠出産のメカニズムを知り、
「旬」をどのようにゲットするか~

このことは、学びとして、受験よりも大切なことではないか~と思う。

女性が、こういう主体性のある考え方を持つことが、
望まない妊娠出産、虐待、ネグレクトなど
多くの問題を解決することに繋がるのではないか!?


そういえば、私も母親と同じように、
22歳で子どもを産みたかったのだ。
まだ、人生が何かもわからず、子どもだった私は、
子どもを持つどころではなく
30才まででいいや~なんて、
結婚すらも視野から消えていた。

こんなことになるなら、もっと早めに・・・

今 振り返っても遅い。(笑)


内診台に上がるのが嫌でも、「検査」必要だなあ。

女性としてプランを立てたら、
健全な卵巣と子宮を守るために
「検査」しましょう。

人にとって、無くなって良い臓器なんてないはず。
「子宮」は子ども産むためのもの だから
年齢を重ねて妊娠出産することが無くなっても
「もういらない」なんて思わないでね。

やっぱり お役御免になっても、
「子宮」ないとね、なんかとっても寂しくて
何とも言えない気持ちになりますよ。

大切な身体のために・・・。
女性としての幸せの為に・・・。

何歳になっても、親からいただいた身体は大切にね。
子宮は子どもを育むだけでなく、
何よりも、女性の証だから。
摘出しないと 命が危ない!と言われた時だけ
泣く泣く捨てざるをえないのであって、
何歳になれば、必要ない〜
という判断のものではないと思います。

《プロフィール》
1959年 熱海市生まれ。静岡県立三島北高校卒業。
女子大に入学するが「夢ややりたいことが見だせず」中退。
1986年自覚症状がないまま、突然の下半身の激痛と出血。
地方都市の個人病院で「卵巣嚢腫」と診断。
その後 東京癌センター病院にて再検査。
卵巣に異常はなかったものの、壊死していた「子宮」を全摘出することに。
最悪の場合「余命は半年」と宣告されての手術。
術後の細胞検査に癌は見つからず、「生きる」ことを許されたが、
「子どもを産めないんじゃ 生きていてもしょうがない。女としての意味なんてない。結婚だってできない。恋愛だってできない。」
としばらく自暴自棄の状態に。
しかし、主治医のポジティブな考え方、両親の支えもあり、「与えられた命を生きていく!」と心機一転。
新しい出会いもあり、1989年 結婚。
フラワースタジオで学び講師になり、熱海で教室・花屋を開業するも、1998年 離婚。
2002年 生花店2代目と再婚。


by hanaya-akkie1187 | 2017-07-31 23:36 | 告白