私(秋津ゆきみ)のこと
~~赤いスイトピー~~
今日は私(秋津ゆきみ)について~
実は、あることで、チョット自分の心が
かき乱されてしまった。
本当に情けない。
多くの方に心配をかけて
またその方たちに助けてもらう~
という、人の繋がりを再確認した日々でした。
その間にひたすら考えていたこと~
何のとりえもない私が~
「結婚して母親になる」という
漠然とした夢しかなかった私が~
その夢が無残にも影も形もなくなった後に~
30年をかけて、
悩み苦しみ考えてきたこと~
① 私の体験と 何らかの事情で
子どもに恵まれなかった女性の声を
まとめ、「本」として出版すること
② その本の収益を「親の愛に恵まれない子ども」へ
寄付をすること
収益を出す~そう覚悟する。
③ 還暦を迎えた後の時間を
親の愛に恵まれない子ども達のために
使いたいと思う。
その先の夢は、まだ内緒。
そしてその準備を、今年はする。
だから~
クソみたいなことに心を乱してはいられないのだ。
あの日~
子どもの顔なんて、赤ちゃんの顔なんて見たくもない!!
と へそを大きく曲げた私が・・・
大好きな「花」を仕事にして~
幸せになって
この年になって、やっと~
迎えた心の平穏と
社会貢献への夢
目指すは、「ビッグママ」
それが今の私~
《プロフィール》
1959年 熱海市生まれ。静岡県立三島北高校卒業。
女子大に入学するが「夢ややりたいことが見いだせず」中退。
1986年自覚症状がないまま、突然の下半身の激痛と出血。
地方都市の個人病院で「卵巣嚢腫」と診断。
その後 東京癌センター病院にて再検査。
卵巣に異常はなかったものの、壊死していた「子宮」を全摘出することに。
最悪の場合「余命は半年」と宣告されての手術。
術後の細胞検査に癌は見つからず、「生きる」ことを許されたが、
「子どもを産めないんじゃ 生きていてもしょうがない。女としての意味なんてない。結婚だってできない。恋愛だってできない。」
としばらく自暴自棄の状態に。
しかし、主治医のポジティブな考え方、両親の支えもあり、「与えられた命を生きていく!」と心機一転。
新しい出会いもあり、1989年 結婚。
フラワースタジオで学び講師になり、熱海で教室・花屋を開業するも、1998年 離婚。
2002年 生花店2代目と再婚
by hanaya-akkie1187 | 2018-02-02 23:06 | 告白