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最初の結婚 ⑦~離婚 その②

最初の結婚 ⑦~離婚 その②_f0375451_21322087.jpg

書き損じがあると困るからか、
悩んで悩んで破棄したりする場合も
あるからなのか、
離婚届は役場で2通くれる。


1通ください~と言ったら
2通くれた。


書き損じも無く名前と判を押した。


Kにさし出して
「別れてください」と言った。


寝耳に水。
目を丸くした。

そして私の固い決意を感じたんだと思う。

まずいことをした~
と あからさまに焦りの表情が出た。


「私、シグナルだしていたよ。
言葉で伝えていたよ。
気が付かなかった?」


Kは答えなかった。
自分がいなければ困るはずだ。
そんな考えが 打ち砕かれたのだ。

失敗した!という顔はしたが
言葉はなかった。


Kは共通の友人や知り合いを訪ねたのだと思う。


何人からか、私に連絡があり
「考え直すように~」と。


私はKの口から、Kの言葉を聞きたかった。
それは叶わなかった。
どんな風に考えているか、
話し合いたかった。


私の意志は変わらなかった。

その時点で、
私は 酷い性悪女と言われることに
なった。


婿を追い出す
どうしようもなく冷酷な女。


そして離婚が成立した。


k名義の生命保険と定期預金は
全部Kに渡した。


私に残ったのは


開業資金の多額な借金と


「バツイチ」という肩書。


短期的であったが
離婚は結婚よりパワーがいる。


もう二度と結婚はしない。
もう結婚は懲り懲り。

気ままに生きてみたい。


そんな気持ちを支えてくれたのも
「花」だった。



《プロフィール》


1959年 熱海市生まれ。静岡県立三島北高校卒業。
女子大に入学するが「夢ややりたいことが見だせず」中退。
1986年自覚症状がないまま、突然の下半身の激痛と出血。
地方都市の個人病院で「卵巣嚢腫」と診断。
その後 東京癌センター病院にて再検査。
卵巣に異常はなかったものの、壊死していた「子宮」を全摘出することに。
最悪の場合「余命は半年」と宣告されての手術。
術後の細胞検査に癌は見つからず、「生きる」ことを許されたが、
「子どもを産めないんじゃ 生きていてもしょうがない。女としての意味なんてない。結婚だってできない。恋愛だってできない。」
としばらく自暴自棄の状態に。
しかし、主治医のポジティブな考え方、両親の支えもあり、「与えられた命を生きていく!」と心機一転。
新しい出会いもあり、1989年 結婚。
フラワースタジオで学び講師になり、熱海で教室・花屋を開業するも、1998年 離婚。
2002年 生花店2代目と再婚。



by hanaya-akkie1187 | 2018-08-13 21:42 | 告白